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愛と関係性についての言葉

あなたの中の女性があなたの中の男性に出会っていないとしたら

あなたの中にある女性が、あなたの中にある男性と出会っていないとしたら、 あなたは外側に女性を、または外側に男性を必要とするだろう。それは代用品にすぎない。 ゆえに、決して完全に満足することはなく、常に何かが欠けている状態に置かれることになる。

世界一の美女を見つけようが、世界一ハンサムな男を見つけようが、どうも何かがしっくり来ない。 どうも何かが欠けているように感じられる。それは 男が悪いわけではなく、女が悪いわけでもない。 何かが欠けているという感じは、どこか他のところから来ているのだ。 そして、それが一体どこからなのかが分 からなかっただけの話だ。

あなたが女性に恋をするとき、それは実際にはあなたの中に内なる女性がいて、 外側にいる女性は、その内なる女性を反映している、ということだ。恋に落ちるとは、そういうことだ。

どうしてあの娘が好きになったのか、と聞かれると、あなたは彼女の鼻がどうだの、髪がどうだの、 歩き方がどうだのと、もっともらしい理由を探し出す。だが、どれもみな馬鹿げている。 鼻の形や、髪の色や、歩き方が、愛と何の関係があるだろう。いいや、関係があるはずがない。

そうではなく、彼女はあなたの内なる女性に、内なる月に適合したのだ。 彼女はあなたの内なる月を反射させたのだ。

彼女が百パーセントであることは、あり得ない。なぜなら、あなたの内なる女性は、 あくまでも内なる女性であって、外側で見つけることは不可能だか らだ。 外側で見つけられるものは影でしかない。女や男に恋をするとき、 あなたは鏡に恋をしているのだ。遅かれ早かれ、あなたは欲求不満に陥る。

 

しかし、外側の女性が完全にあなたを満たせないのは良いことだ。 でなければ、内なる探求に向かうことは決してないだろうから。 外側の男があなたを 完全に満たせないのは祝福だ。 それは、ただ単に一瞬の満足、味わいを与えてくれるだけで、あなたはますます渇望を覚えるようになる。

これはよいことだ。ひょっとすると、それこそが目的なのかもしれない。 そうしてある日、あなたは自己に立ち返り、内側を見るようになる。

 

たとえたくさんの人と関係していても、女性の心理に深く立ち入ることはできないだろう。 あなたの内側の女性的な部分を知りなさい・・・必要なのはそれだけだ。 そうすれば、関係することは鏡の役割を果たす。

女はあなたを見て、自己の中にある男性的な部分を発見するようになり、 男は女を見て、自己の中にある女性を発見するようになる。

 

自分の中にある女性、つまり対極的な部分への気づきが増せば増すほど、 あなたはより全体的に、統一的になれる。内なる男性と内なる女性が完全に混ざり合い、 溶け合い、もはや分離することなく一つの完全統一体となるとき、あなたは個となる。

内側にある解放された女性と、自分の中の内なる男性との出会いにまかせない。 深い統一感と、有機的な本質を知るために。そうすれば、意識に関しては、 あなたはもはや男と女に分断されてはいない。

そのとき、あなたは一つであり、人間であり、また全体でもある。 もはや葛藤はなく、あるのは協調だけだ。存在しうる最高の統合体に達している。 それが起こるとき、人は全体になる。その人が男であろうが、女であろうが、それは関係ない。

あらゆるエネルギーには極性がある。生における唯一の問題は、いかに二極間のバランスを取るか、 ということだ。

 

バランスは幸福へと導いてくれる。あなたのエネルギーが50対50であるとき・・・ それらが出会い、溶け合い、交響楽となり調和を奏でるとき・・・たいへんな至福が可能だ。 全存在があなたの中に流れ込んでくる。それは、あなたに準備が整い、受容的になっているからだ。

 

世界中のあらゆる伝統が、様々な方法でそれに働きかけて来た。 インドではそれを「シヴァ、シャクティ」と呼び、中国では「陰、陽」と呼ぶ。 それを「肯定、否定」、「男、女」と呼ぶこともできよう。ともかく呼び方はどうでもよいが、 ひとつだけ確かなことがある。

それは、あらゆる物事が対極から成り立ち、対極を通して存在している、ということだ。 バランスが失われるとき、地獄が生まれる。バランスを回復するとき、楽園もまた復活する。

                       ~ OSHO~